シャッターチャンス

雨上がる
 今朝は雲行きが今までとは少し違っている。予報も午後には所により雨とでているので排水路溝畔の草刈りをした。まてよ、雨が降るとすればその前にやっておくべき作業がある。吾が輩、朝飯前の時間を延ばして先日片つけた夏野菜の跡を耕起もしたのでR。
 午前はりんご仲間のM山さんを訪ねて、昨日先輩の種苗店で仕入れてきた知識の”請け売り”だ。わけても「いちじく」品種のことや株枯病のことは大いに参考にしょうと話し合ったのである。
 午後になって雲行きが怪しくなってきた。3時前から雷様のお出ましだ。富山市街の方は真っ暗、一足先に降っている。そのうちにこっちもザーッときた。ひとしきり強い雨風で、野分けだ。でも雨が上がるのも早く、4時前には小降りとなり晴れ間が覗いた。
 吾が輩ヤボ用を済ませようと外に出ると、東の空に大きな虹が架かっているではないか。久しぶりに見る「虹の架け橋」、吾が輩シャッターチャンスとばかりに、絵になる所へ走ったのである。
 今日で8月は終わる。新聞は、「戦後最も暑い8月、富山が29日までの暫定値で29・3度、平年を3・2度上回ったと報じている。越中八尾は明日から風の盆だ、今日の雨でチリ・ホコリを洗った坂の街は「越中おわら」で埋まるのである。
スポンサーサイト

マゴマゴ

孫娘の友達
 農作物の味を大きく左右するのは土と肥料だ。わけても土の中で育った部分を収穫する根菜類や芋類はどんな土壌の所で作るかが決め手になる。吾が輩の所は砂壌土なので、根菜類はイマイチ、そこで秋冬大根はワイフ殿の実家の畑で作るのだ。この場所は約3km離れているが、赤土で粘土質なので、とても美味しい大根ができるのでR。
 今朝はこの畑の草刈に出かけた。行ってみるとH川先生が先に見えていて里芋の手入れをされている。先生は吾が輩の紹介で昨年の秋野菜からこの畑を利用されているのだが、今年は里芋を重点的に作っておいでる。
 きのうブログに「夏暁一刻値萬金」と書いたのだが、今朝はH川先生と吾が輩、一刻を争うが如く精を出したのであった。H川先生の里芋つくりは実質的に今年が初めてなのに、玄人裸足(ハダシ)の出来栄え。しかも、である、八尾に拘ってお作りになっている「八ツ頭」は名の通り多くの頭ができたようで、ズイキの育ちも見事なもの、少しはアドバイスした吾が輩だが、脱帽をせねばならないのである。いずれ芋ほりのときには写真を撮って博客の皆さんにも見ていただくとしよう。
 吾が輩きょうは朝飯を済ませて、この畑に蒔く大根の種を買うため先輩の種苗店を訪ねた。先輩とはこの気象のことやら、消費者の多品目少量趣向と品種、そして作り方など、久しぶりに勉強をさせてもらった。
 今日の写真は、お盆に長逗留?した東京の孫娘が送ってきたもので”お土産の桃を友達と一緒に食べたのだが、とても美味しかった、ジィのことを喧伝したからね”とワザワザ電話をしてきたので、”マンザラ”でもない吾が輩8月の思い出の一こまとして書き留めたのである。

千石食べて黄金(こがね)貯(と)める

こがね虫
千石豆の花
 きのう詩吟教室へ行って来たことが頭から離れていなかったとみえて、今朝夢の中で漢詩の一節を論じた。「春宵一刻値千金」ならば「夏暁一刻は値萬金」だ、さぁこの後をどう詠むか、確かそんなことだったように思う。
 処暑も次候になったのに一向に暑さは収まらず、日中は野良仕事ができない。こんな時は朝早くに頑張るに限る。とすれば夏暁の一時は値が大きく、曜日のことなど言っておれない、吾が輩最近このことを強く思うのでR。
 で、今朝も日曜日など吾関せずとばかり5時起床だ。今朝はコシヒカリの田んぼに水を入れ、秋野菜を植える予定地の前作マルチングをはがし、洋梨の新梢を整理するなど幾種類もの作業をした。きょうは「ゲゲゲの女房」がないので8時半まで、これで今日の仕事は終わりだ。
 午前は、この間から気に留めていた「千石豆」の花だ。この豆、吾が輩が作っているのではなく、隣家の畑だ。吾が輩の家に隣接する畑に植えてあって楚々とした白い花が咲いているので何時の日かブログに書こうとおもっていたのである。
 千石豆(せんごくまめ)は「ふじまめ」のことで鞘の形が千石船に似ていることから「千石豆」と呼ばれている。”若さや”は独特の香りがあって風味豊か、伝統の野菜でもある。吾が輩の地方では「つる豆」とも読んでいるが、吾が輩「つる豆」の”よごし(ゴマ和え)”は好物である。
 この「千石豆」の花を”こがね虫”が食べている、それを見て頭を捻ったのが、今日のタイトルで、♪黄金虫がかね蔵建てた♪、夏暁一刻値萬金、夢はうつつとなったのである。
 

桃のコンポート

エルバッチャのランチ会
桃のコンポート
 吾が輩が作った桃が”腕っ扱きシェフ”の手でコンポートの逸品(写真下)になった。まさか今日それが食べれるとは思わずに出かけたランチ会であった。
 きょうは吾が輩の果樹園を助けてくれるK森さんと、Yまさ君に応援を求めて朝から「サンつがる」の葉取りと玉回し作業を行い、近くで息子の友人が経営するイタリア料理店でランチ会を持ったのであった。”腕っ扱きのシェフ”はマスターであり、経営者でもある。
 桃のコンポートはデザートに出たのだが、本当に美味しくて吾が輩涙がチョチョンギレタのでR。これで味を占めた吾が輩、これからもいろんな素材を提供することを約すとともに、このお店の名前を広めようと心に決めたのである。K森さんとYまさ君には次は「ディナー」だよと、御機嫌の吾が輩であった。
 午後は暑さを避けて詩吟教室、帰宅してみると中国語教室の老師からメールが届いている。今晩の教室で用いる教材の原稿を添付したからプリントして持ってきてくれ、と云うわけだ。「忘年交」もここまでくると大したものだが、これは彼我の信頼関係の現われでもある。
 今夜は目をコスリながら授業参観とするかな。

吉林の礼物

吉林の礼物
 クセになったかなと思った夕立だが、今日は午後になって時間が経つのに未だカミナリ様は怒らない。外はカンカン照りでまだ暑いし、と云う訳で吾が輩”ひざなか”の日記だ(それでも午前は3時間近く田んぼのヒエ抜きををしたのであるぞよ)。
 きょうの話題は写真の食物。これは昨日、中国は吉林省の「娘家(ニィアンヂィア)」から帰ったわれ等が八尾日中の中国語老師X女史がお土産に持ってきてくれた物。
 さーて博客のみなさん、何であるかお分かりかな。中国では「白木耳」または「銀耳」と云う。元をただせば「桑」などの”もたせ(きのこ)”、耳の形なので「〇〇耳」と書くのでR。いろんな食べ方があるが、我が家では戻して氷砂糖を入れてじっくり炊き上げ、煮汁ともに冷やした後、季節の果物を入れてデザートにしている。このデザートは中国では「氷糖銀耳」と呼ばれる高級料理、大昔は皇帝が召し上がった”しろもの”でござるぞ。(作り方を知りたい方は吾が輩が伝授するであろう)
 傍らの人参は吉林省特産のいわゆる「朝鮮人参」。袋の裏に効能書きがあって、「可大补元気、生津止渇、宁神益智、増強食欲、増強性机能、久服延年益壽」、と書かれている。吾が輩はもうポンコツだが、若い人達よ、5番目の「増強性机能」に注目されたし。因みに「机」は中国の簡体字、元の字は「機会の機」である。
 最後になった。「娘家」は中国で嫁いだ娘の実家のこと、「礼物」はお土産、「白木耳」は白キクラゲのことでR。
 吾が輩今日は、明るいうちに書く日記も悪くないと悟った次第。

 猛暑→猛威→アメシロ

背戸の柿の木
 今日も午後になって雷鳴が鳴り響き強い雨、3日連続となったのでかなりの雨量だ。これで暫くは水の心配無用である。
 変わって心配のタネは「アメシロ」だ。吾が輩今朝は果樹園にアメシロが潜んでいないか徹底調査だ。すると、居る居る洋梨の樹の中に幼虫に孵ったばかりの集団を発見したのでR。直ちに枝を伐って焼却、やれやれだ。
 午前は友人のご母堂の葬儀、ご母堂は明治43年11月生まれで享年百歳、吾が輩のお袋は明治44年5月生まれで、いわば”おないどし”、お袋がよく声をかけていただいた方でもあり、心からご冥福を祈ったのであった。
 帰路”通りすがり”にアメシロに喰い尽された植物を発見、車を止めてパチリだ。
 柿の木に間違いがなのだが、今の時期葉を全部喰われたのではマトモな柿は絶望、だけでなく、来年は蕾がほとんど着かず、いわゆる「ウラ年」になる。
 問題はこのお家だけではない。今年のアメシロは猛威を振るっていて、このような被害が”そこらじゅう”に見られることである。人びとはなぜこんなに無頓着なのだろうか。特に柿の場合は屋敷内に誰かが植えたのに放任して、実がとれないことを愚痴っている。アメシロは”アメリカ白灯盗”とも書くように、ごの害虫は戦後になって日本に侵入したもの、アメシロにやられなくても「隔年結果」をさせている多くの人びとよ、アメシロを放置していたのでは、それこそ”なんにも生らぬ背戸の柿の木”になりますぞ?

外つ国の人

珍客の来訪
 昨日は待望の雨が降って、草木が生気を取り戻したので、今朝は水のことを考えなくってもよかった。で、新聞に目を通してから畑仕事、きょうは吾が輩の下で農業体験を続けているI崎さんと、トマトと西瓜を片つけて秋野菜を作る段取りをした。
 朝食をとるので家に入るとH川先生から電話が入っていた。午前お邪魔をしても良いかとのこと。聞けばお友達夫妻とドイツ人の方で日本の大学で講師をされている方が吾が輩の果樹園を見たいとのこと。二つ返事でお迎えすることにした。お迎えしたのは小田原のM宅さんご夫妻と外つ国人のSMさん。勿論H川先生がご一緒なので素敵な語らいができたのであった。SMさんの名刺には考古学博士となっているだけに、我が家の仏壇や欄間に興味をもたれて、なるほどな~と思ったのである。M宅さんご夫妻は吾が輩のりんごに強い関心を持たれたようなので、りんご作りの面白さを説明させていただいた。H川先生とお友達・りんご園に
 きょうは面白い日で、朝メールを開けると、先日上海から親子で我が家を訪ねたJさんからお礼のメールが届いていた。12日間の日本の旅はとても楽しかったこと、八尾の街並みと我が家での「桃摘み体験」は子供達にとって良い思いでになったこと、等と書かれていて吾が輩嬉しくなったのでR。
 そこでタイトルを「外つ国の人」としたのだが、”とつくにのひと”でキイーを打っても「外つ国」と出ないので”とっくに”などと云うのは昔人間であることを思い知ったのである。
 きょうも嬉しいかな午後になって雨が降った、処暑になっただけあって、天気図も少しは変化があるのだろうか、今日は十五夜の満月だ。

極楽の余り風と干天の慈雨

処暑の日の出
 今日は旧暦の7月15日だ、大昔は今日がお盆である。吾が輩きょうも早く目がさめた。まだお天道様は立山の峰から顔を出されていない。新聞の暦によれば日の出は5時15分となっている。いつものように立山の高さを昇る時間が必要。待つこと暫し5時30分にご来光である。
博客の皆さんはご来光の前後約30分ほど涼しい風が吹くことを知っておいでるかな!吾が輩この風を極楽の余り風だと思っている。「極楽の余り風」は昔の人がよく口にしたものなので、インターネットで検索してみたら、今日の日にピッタリの俳句が見つかった。”施餓鬼会の背に極楽の余り風(石鍋静穂)”とあって吾が輩感激したのであった。黄瓜
 涼しいうちにと、きゅうりの蔓たぐりをした。すると下の方に完熟した胡瓜がみつかった。中国ではきゅうりのことを、胡瓜または黄瓜と呼ぶのだが、二つとも”きゅうり”とは発音しないのに、日本で”きゅうり”と云うのは「黄瓜」が訛ったのでは、と云うのが吾が輩の学説?である。
 午前は田んぼの「ヒエ」抜きを行ったが、暑さに負けそうになったので一時間余りで切り上げた。お昼近くなって商工会のT原さんが見えた。
 午後、勉強会があるので来ないかとのお誘いだ。どんな立場になるのでしょうかと聞くと、オブザーバーだとのこと。予報は午後雨となっているし、それでは行きましょうと返事をした。
 商工会で勉強
行ってみると、「第1回エコツアーWG(ワーキンググループ)勉強会」であった。”おもてなし事業”の専門家の先生のお話があった後、八尾の重点地域を3つに分けたグループがグループごとにコンテンツの検討をされたのだが、吾が輩も白木峰ツアーグループに入れてもらって、楽しいひと時を過ごしたのである。
3時過ぎには雷鳴がとどろき予報通り雨だ。この雨、待ち焦がれた雨で、将に干天の慈雨であった。旧暦のお盆はお天道様も粋な取り計らいをしてくださったものだ、と吾が輩、今朝ご来光を拝んだことに思いを致したのであった。

猛暑の処暑

処暑の陽射し
 今日は二十四節気の処暑、なのに最高気温が富山で35・3度の猛暑。”なにおかいわんや”である。今年の夏はカンカン照るだけで、夏の風物詩となる夕立が全くないのが気にかかる。雨量が無いのだから川水と井戸水に頼るより他にスベが無い。幸い大河は未だ枯渇しないので、今のうちに水を欲しがっている作物に水をあげねばならぬ。
 と、云ううわけで吾が輩今朝も5時起床、りんご園に水を入れたのでR。田んぼの方は穂が出てから20日間は水を落とすな、と云うが、吾が輩は3~4日に一度は落水して根の活力が落ちないように心がけている。今日は落水をした。ここまでが朝飯前の仕事。
 朝食をすませてから、高校時代の大仲良しで八王子に住むS澤君へ二十四節気定期便を送る。この定期便はかれこれ3年続いていて、たいていは吾が輩が先手をとるのだが、今日は”朝前仕事”が遅れたので後手になった。
 午前は「おわらの里」に住んでいらっしゃる歴史小説作家(中国古代が得意)のK谷先生に桃を届けた。桃は中国で不老長寿の仙果であると、先日は日記に書いたのだが、このことを好く知っておいでるので話が弾むのだ。
 帰宅したところへ中国語サロンで月に一度顔を合わせる、H爪女史がて手作りのケーキ持参で訪ねてきた。
 10月に仲間と一緒に訪中する予定なのでその打ち合わせだ。都会暮らしを経て八尾に移り住んだ人なので”カラット”したお人柄、外の暑さを忘れてお喋りをしたのでR。
 午後はいろいろヤボ用を片つけて、猛暑の処暑第一日は暮れた。猛暑ではあったが風景で見る限りは”暑さも収まる”処暑の絵(我が家の庭であるよ)になっているではないか。

きずな・絆

甥ッ子の子
 立秋は今日まで、お盆をはさんで前後15日間は何時ものように民族が大移動?した。久しぶりに故郷を訪ね墓参をした人も多いだろう。
 きょう我が家を訪ねたのは千葉県に住む妹の子夫婦とその子供達。祖先の墓参りをして帰った。斯く云う我輩も、今日は母方の墓参をしてきたのでR。
 近年家族の絆がトヤカク言われるのだが、「絆」と云う字は漢字源によれば”馬の足にからめてしばるひも。また、人を束縛する義理・人情などのたとえ”と書かれてある。今どき義理人情だけを云っていては「絆」が切れたり、弱くなるのでは、と、吾が輩は思うのである。
 先祖を偲び、子孫のことに深く思いを致す、人間本来の生き方が問われている、とすれば夫々の世代が”真摯にその役目を果たす”ようにせねば、が吾が輩の行動規範(ムツカシイことを云うな!)である。
 きょうは祖父母の墓参をして、墓守をしてくださっている遠縁を訪ねて旧交も暖めたのであった。
 午後はこの間介護施設に入所した母を尋ね、その足で隣接の総合病院入院しているりんご仲間を見舞った。彼は6月の末に交通事故を起こしたもので、当分退院は叶わない。そこで、彼は果樹園を今後どのようにするかで悩んでいたので、いろいろ話し合った。帰宅してみるとワイフ殿の姪っ子が、これまた、入院中の父親のことで相談にきている。吾が輩それなりにアドバイスをしたつもりだ。
 かくして今日一日は義理・人情、そして「絆」に大いにかかわったのである。明日は二十四節気の処暑だ、暑さも少しは収まるのだろうか。そうなることを願っている。

不老長寿の仙果

韮の花・大写し
にらの花
 中国で桃は”不老長寿の仙果”と云われている。我輩の桃も残りが少なくなったので、今日は不老はともかく、長寿の師お三方に仙果を持参して、残暑お見舞いを申し上げたのでR。
 吾が輩の高校の恩師は今年米寿、親しくお仕えした元首長さんは今年92歳、いろいろお世話になった日中友好協会の前事務局長は今年87歳、と、みなさん大正生まれで青春時代の真っ只中が第2次世界大戦、戦中戦後を力強く生きてこられた人たちである。お三方とも、桃は喜んでもらえたのだが、お一方とはお話ができたものの、お二人は顔をみることが叶わなかった。暑さが収まってからまたお尋ねすることを約束して辞したのであった。
 高校の恩師を訪ねる道すがら、栽培されている「にらの花」が目に止まった。車を止めて盗撮?したのがこの写真である。接写してみると、1本の花茎に白い小さな花が数多く咲いている。吾が輩こんなに注意深く「にら」を観察するのは初めてなので、帰宅してから「にら」について勉強をした。すると、{花は半球形の散形花序で小さい花を20-40個もつける。花弁は3枚だが、苞が3枚あり、花弁が6枚あるように見える。雄蕊(おしべ)は6本、子房は3室になっている。子房は熟すると割れて黒色の小さな種を散布する。}とあってずいぶん悧巧になったのであった。
 午後は”町の農業を語る会”の勉強会。きょうは「農事組合法人サカタニ農産」代表理事、奥村一則さんのご講演であった。全国屈指の経営規模と経営感覚に優れたプロ集団の代表のお話は感動もので、吾が輩”目からウロコが落ちる思いに駆られたのであった。
 きょうも暑い日であったが、吾が輩暑さを忘れる勉強ができたことを喜んでいる。でも、暑さに負けないように明日は「にらレバ炒め」でも食べることにしようかね。

がんこdeあーる

がんこ村で
 今日は千石町の”ふれあい処・がんこ村”で桃を売る日でR。吾が輩、早朝気温の上がらないうちに摘み取る。きょうの桃は「川中島白桃」、色合いと手触りで熟度を判定するのは、口で言うほど簡単ではないのでR。桃はとてもデリケートな果実で、一日の違いで甘味も口ざわりも違うのだから完熟した果実を見分けるには経験が必要だ。摘み取って直ぐパッケージをし、朝食を摂ってから車を走らせた。
助手席には東京の孫娘、店には富山に住む孫娘が迎えてくれて”店開き早々の賑わいを作ってくれる。この孫娘たちは育ち盛りなので、やがては思い出になるだろうと、村長のK井さんにシャッターを押してもらった。(東京の孫娘はその後ヒートアイランドにある住いに帰った。)
 千石町通り商店街振興組合が、”がんこ村”と名付けられたのには、いろんな意味合いがあるのだろうが、吾が輩足を運ぶ回数が増えるにつれ、”ふれあい処”は頑固だけではなく、頑強・頑健で地域つくりに繋がっているように思えて拍手喝采を贈るのであーる。
 きょうは嬉しい人も吾が輩の桃を買ってくれた。息子の友人で町内でイタリヤ料理店を開いているM本君だ。明日桃を使って料理を作るとのこと、どんな料理ができるのか、作品?は写真に収めて画像が送られてくることになったので、吾が輩いずれは日記に認めるであろう。乞うご期待だ。

ハミズ、ハナミズ

葉見ず花見ず(大写し)
 お盆が済むと”ちゃーんと”顔を出して花が咲く。葉が無いので、何処に花茎が顔を出すかわからない。「花が咲く時に葉が無く、葉が有るときに花を見ることができないので、吾が輩の地方では「葉見ず花見ず」と云っている。
 この花、ヒガンバナ科、ヒガンバナ属で「ナツズイセン」、吾が輩の庭に暑さにめげず”すっきり”とした桃色の花を咲かせてくれるのでR。中国原産で帰化植物と知ると親中国を自認する吾が輩は嬉しくなるのである。
 毎年この花が咲く頃は、少しは暑さが収まるのだが,今年は違う。猛暑・炎暑と続いて地球が”焦げ付く”のではと思うほどで、人間様は勿論、花や草木も大変だ(フアーマーは農作物の水管理が大変)。
 きょうも30度を越す暑さ、Yまさ君とS幸君が桃の匂いを嗅ぎ付けて”何でも手伝います”と云って来宅したので、実が大きくなって枝が下がり気味になった「りんご」の支柱入れを手伝ってもらった(午前だけ)。
 こんな暑い時は、若い衆さえ半日なのに年寄りが一日”ムリ”して熱中症になって笑われたら大変、と、吾が輩も午後はクーラーの利いた部屋で町日中友好協会の事務処理をして過ごしましたぞ。
 

ツルレイシ熟す

ゴーヤ完熟
 「ツルレイシ」って何?、この写真を見て即座に正解をする人はどれくらいいるのかなー。今でこそ、この植物の緑色のときに、料理する家庭が増えたが昔は沖縄に限られていたと云っても過言ではない。
 吾が輩も、若い頃は「ツルレィシ」の名前は聞いていたが実際に見て、作るまでになったのは、昭和も末になって沖縄料理ブームの到来以来である。
 でも、この植物を早くから知っていた郷土の偉人?がいた。吾が輩の近くの銘菓店は「Y澤屋」の先代、今は故人だが、ハイカラな人で、ツルレイシが熟して黄変軟化して、口を開けると”赤いゼリー状の種が有り、これが甘いので食べたものだ”と聞かせて頂いたのであった。
 さて、この赤いゼリー状の種だが、調べてみると種子の表面を覆う仮種皮であることを知ったのであった。
 吾が輩、毎年このようにするのだが、地上に落ちた種は雪の下になっても”ヘイチャラ”で、翌年暖かくなると芽を出して、蔓が延び、やがて実がなるのだから驚きであーる。生命力の強い作物は人間様にも生命力を付けてくれるのではないか、そんなことを近頃吾が輩は思うのである。(ツルレィシはゴーヤ・苦瓜のことです)
 きょうは,午前は収穫が済んだ桃の夏剪定、午後は、菩提寺の「施餓鬼法要」に参詣した。「餓鬼に施す」と読めるだけでは、ダメですぞ。中国語で「餓」はお腹がすいていること、餓えて(飢えて)いることです。「餓死了」と書くと「死ぬほどお腹が空いた」となるのだから、この鬼は「可哀そうな鬼」だったのでしょうね。

シェフは孫娘

シェフは孫娘
 立秋も今日で次候が終わる。その次候は「蜩(ヒグラシ)鳴く」なのに、ヒグラシは鳴りを潜めている。さもありなん富山でも炎暑が”ぶり返し”て今日は33・1度だ。
 昨日「農業に精進する」と誓った吾が輩、今日は暑くなると見て5時起床、これで園全体は最後となる、りんごの総合防除。午前は先日の雨でぐ~んと伸びたりんご園の下草刈りを行った(午後は用足し)。今日は次女が38・1度の東京に帰ったが、大学生の孫娘は東京を逃れて我が家に避暑気分で未だ滞在している。
 大学生ともなっているので恩義?がわかるのか、今晩は腕をふるってご馳走を作った。さすがに女の子だけあって「トンンカツ」も「パンプキンコロッケ」も「ハッシュポテト」も味は上々で、吾が輩久しぶりに舌鼓を打ったのでR。
 きょうは九十九歳のお袋が暑さにたまりかねて介護施設に入ったので夕食は”ヒネドリのツガイ”と孫娘の3人だ。
 昔から云うではないか、”仕事は大勢、旨いことは小勢”と。付け加えて云うとすれば”持つべきは女の子”でござるぞ。

釈迦の弟子と”みょうが”

茗荷の花・アップ
みょうが・1
 お盆三ヶ日は吾が輩も仏教徒のハシクレで過ごした。きょうは夕刻精霊送りを済ませて日記を書く。で、思いが至ったのはお釈迦様のお弟子「槃特(はんとく)」と茗荷のことである。
 吾が輩の庭の茗荷も花穂を出して食卓に上るようになった。写真に収めて話題としよう。
 ”茗荷を多く食べると物忘れがひどくなる”といわれるのだが、あれは作り話。この話の基はお釈迦様のお弟子「槃特」が自分の名前まで忘れるのを”ふびん”に思われたお釈迦様が彼の首に名前を書いた札を下げたことにある。「槃特」はこの札を大切に、常に背負って精進した。彼の死後、その墓所に生えた草を、人々は名札を荷って修行した槃特に因んで「茗荷」と名付けたとさ。
 一般的には地下茎から出た花の蕾を茗荷の子として食するのだが、暑さが続いてヘバッテいる時に独特の芳香と風味のある茗荷の子は重宝されるのであーる。
お盆は済んだ。明日からはまた吾が輩も楽農人生に精進をするとしよう。

色褪せた写真


 きょうは65回目の終戦の日。そこで吾が輩趣向を変えて、色褪せた写真を引っ張り出して、65年前に戻ることにした。
 吾が輩は12歳、国民学校高等科1年生であった(稲を多く作っていたので、旧制の中学校へはゆかせてもらえなかった、労働力が当てにされていたのである)。家族は祖父、父母、弟妹が4人、(後にもう一人妹が生れる)合計7人。写真には叔父が2人と、隣家に疎開していた子供が一人(裸の子)写っている。
 この写真を写したのは父の従兄弟で、富山市内に住んでいた人だから、写したのは終戦の日以降であろう。
 「負ける」とは誰も思っていなかった”大東亜戦争”に負けたので大人達は虚脱状態、子供達はそれが何を意味するのか判らず、大人たちを見てオロオロしていた頃である。
 今にして思えばこんな色あせた写真でも、写して貰えた幸運?そして残してくれていた親に感謝するのでR。
 写真は何を物語るのか、65年も経つと人間の頭も色褪せるのであった。でも、65年前の8月15日はカンカン照りで、暑い日であったことは忘れていない、否これからも忘れないであろう。
 お盆で精霊を迎えている。吾が輩、日記もそのことを意識して認めた次第だ。

風化するお盆

ミソハギの束
 台風が通りすぎてから一転した悪天候、きょうは「地獄の釜」も休んでいるので、吾が輩も完全休業だ。一日中なんにもせずに過ごしたのは3月に三脚がこけて打撲した日以来だ。”なんにもしなかった”というものの曾孫との付き合い?を暫くさせられたが、これは楽しくってアキがこなかったのでR。
 さて、写真の花、ミソハギのこと。漢字でかくと「禊萩」、かつてはどこの家庭でもお盆の「しょうらい花」として育てていたのだが、吾が輩の家では何かの原因で無くなってしまった。近所はありがたいもので、”あんたんところ”には無いから、持ってきたよ、と一束いただいたのである。
 昔は床の間に”しょうらい棚”を儲け、「すすきの茎(吾が輩の田舎では”かやの茎”といっていた)で編んだ「スノコ」の上に野菜や果物を切り刻んで供えていた。その”しょうらい棚”を水に濡らした「ミソハギ」の花でお払い?をしていたのである。吾が輩の家は”法華宗”なので、床の間の梁のところに、ススキの茎で編んだ縄に里芋の茎葉を挿して吊るしていたことも、まだ忘れてはいない。
 盂蘭盆会とお中元(旧暦7月15日)が”ごっちゃ”になって根付いた「お盆」の行事、いろんな風習があったのだが、今ではすっかり風化してしまって、現代人はお盆の意味を勘違いしているのでは、と吾が輩要らぬ心配をしている。

人気ひとり占め

愛ちゃんポーズ
 きょうは台風一過とはならず、グズついた天候。早朝はお盆前にしておこうと思っていた仕事の中で残っていた田んぼの畦畔草刈り。午前は市内の「ふれあい所・がんこ村」で、昨日台風前に摘んだ桃のワークショップだ。「がんこ村」での販売は今日で3回目、お得意さんができて吾が輩口が滑らかになるのでR。
 これでお盆前のしごとはすべて終了、あとは昨日の予報?どおりに運ぶかどうかだ。午後になって「テラヘルツ」の大先生が訪ねてくださって9月に入ってから開く「やつお日中」主催のご講演の打ち合わせだ。演題は「二十一世紀の医療・テラヘルツ療法」と決まる。先生はわれらが日中の参与でもあり気合が入っていて、その日が待たれる。
 夕方になって、我が家は台風の襲来?だ。吾が輩の子供3人にその連れ合い、孫が4人、曾孫が一人、と都合9人が勢揃いした。が、一番もてたのは1歳半になる曾孫(写真)であった。
 九十九歳のお袋は人に酔ったのと認知症の合併症で?、誰が誰やら判らずじまい、でも百歳近く歳が離れる「玄孫(やしゃご)」は、それこそ目に入れても痛くないのであった。
 やしゃご
 こんな日記が書ける吾が輩はやはり”しあわせ者”、きょうのことを博客に自慢したくなるのであった。

嬉しい「杞憂」

雲が走る
 この夏はじめて襲来した台風4号。進路予想は朝鮮半島をかすめて日本海に入り北上だ。日本海に入ると風台風だとすると農作物の被害は大きい。イネは穂が出て間がないので穂がダメージを受けるし、りんごは未だ1ヶも収穫しないうちに落果、落下が少ないとしても果実がエダズレして、商品にならない。正直言って昨夜は眠れない夜だった。朝になるのが待ちきれず、薄明かりで雲の動きを見るとそんなに心配しなくてもよいかもだ。
 インターネットで5時現在の台風の位置をみると、進路はだいぶん大陸より、昨夜の思いが「杞憂」になりそうでR。
 富山県は昼過ぎが最接近との予報も(写真のように雲足は緩い)、少し遅めに外れていたみたいで、通り過ぎてみれば陸上の風はそんなに大きいものでなく、結果的には雨台風(雨量も大したことでなし)であって、完全に「杞憂」で済んだのであった。
 吾が輩きょうは台風が接近しないうちにと、桃の摘み取り。長沢白鳳は残りが少なくなっていたので雨の降る前に済んだ。きょうは3組のお客がみえてお買い上げいただいたのであった。
 午後は一時晴れ間もでたが雨が断続的に降ったので”ホネ休め”こんな日は仕事をしなくたって”儲けたような気分になる”吾が輩であった。夜になって東京の孫娘がやってきた。目に入れると痛い孫だが駅までお迎えにいった次第。台風は免れたが明日は子や孫、そして曾孫までがやってくるとの予報?これは大型の人風になりそうである。

ああ勘違い

ハスモン・3
 吾が輩、きょう里芋畑で「ハスモンヨトウ」を接写して見て、大きな勘違いをしていることに気付いた。気付いたと云うよりは今まで「ハスモンヨトウ」と思いこんでいたのだ。
 里芋の害虫で一番厄介なのは「ヨトウ虫」。先日Yまさ君に里芋の畑で、食害状況と幼虫を見せてこの芋虫のことを話した。ハスモンヨトウは漢字で「斜紋夜盗」と書くのだ、と云うと彼は合点した。今までカタカナで「ハスモンヨトウ」と認識していたので「ヨトウ」の意味がよくわからなかったと云うのであった。
 さて、吾が輩、この芋虫に角が有るのを今まで何気なく思っていたのだが、今日接写して角のことを書くために、インターネットで検索してみると、な、なんとこの芋虫は「ハスモンヨトウ」ではなく、「セスジスズメ」の幼虫であることがわかったのであった。ハスモン・1
 セスジスズメの幼虫は黒いイモムシで、「黄~赤色の円紋が並んだ奇抜なファッション」と書かれている、吾が輩が写した写真のイモムシは将に「セスジスズメ」だったのでR。ハスモン・2
 これを勘違いとだけで片付けてよいのか、吾が輩不明を深く恥じ入った次第である。台風4号が近づいている、願わくは被害の少ないことを!

干天の慈雨

干天の慈雨
 今朝は目覚めて直ぐ外に出た。まだ日の出前、立山連峰の稜線がはっきり見える、この分だと雨がふるかもだ。そこで吾が輩インターネットで雨雲の動きを調べる。降ってもそんなに雨量が期待できないとみて、りんご園の潅水を段取りする。用水の上流まで行って流量を増やしてきて、ポンプUP。他方、コシヒカリの方は昨日一旦落水したのだが、台風が近づくとなると水の奪い合いがはじまるので、そうならぬうちに、と、水を張るのであった。
 午前Yまさ君とNせん君がりんごの仕上げ摘果の応援にやってきた。あさってはヒョットして台風が接近するかもなので、取り過ぎないようにと指示だ。
 吾が輩は、と云うと桃を摘んで、荷造りの上、ユーパックで2ヶ所へ送った。昼はYまさ君、Nせん君と一緒だ。昼食を済ませた頃にザーット雨だ。しかも強い雨、なんとこれが朝のうちから降れば早起きをするまでも無かったのに、と”愚痴った”愚かな吾が輩でR。
 午後、りんご仲間のM山さんが「大福」を持ってやってきた。今日は慈雨の上に大福となったのである。
 干天が続いたので庭の高いところに植えてある双幹の松は、さぞかし干上がっただろうが、今日の雨で元気を取り戻したことであろう。これで明日の朝は寝坊ができる。

看板に偽りなし

ランナーを植えるいちごのランナー
 春早く、先輩が経営する種苗店で貰ってきた”いちご”、小さな看板?が立ててあって、「四季なりいちご・エラン」”春から秋まで長~く採れる”と書かれてある。吾が輩貰った当時は?だった、が春から夏まで真っ赤な実を着けてきたし、この後も看板にある秋までは楽しめること間違いなし、で、「看板に偽りなし」としたのでR。
 そして、写真下のとおりランナーが伸びて、ここのところ日増しに株が充実してきたので、今日は鉢を横付けにして新しい株を植えてあげたのである。
 エランと云う品種は四季成り性のいちごで、最近は高冷地域の夏取りイチゴとして注目されている品種。調べてみると、従来の品種はランナーを利用して作付けを増やしてゆくのとは異なり、種子繁殖ほ方法をとることが判って、老農はビックリギョウテンしたのであった。
 吾が輩、この日記に何度か「知るは生きる喜び」と書いてきたが、食べ物に関する知識は「食べること」だけでなく「(農作物を)作ること」を知る喜びは生き甲斐となり、作る体験は「本当の豊かさ」を知ることになる、と思っている。(自己満足と笑うことなかれ)

年代を越えて

笑顔の素敵なK吉さん
 今日は(今日も)4時半起床、5時から菩提寺境内の草取り。7時前には帰宅して、今度は昨夜の後片付けを皆と一緒におこなった。暑いし、日曜でもあるので休養を決め込んでいると、吾が輩の楽農人生を見習おうとしている青年から電話があって、一人の女性を紹介すると云う。
 待つことしばし、イキが良くて溌剌とした女性と一緒に我が家を訪ねてきた。聞けば大学を卒業後、長野県は安曇野の法人りんご園に就職しりんご作りに青春を賭けている?とか。二人とも吾が輩の孫と同じ年代、将に年代を越えた交わり(忘年交)である。話の内容も、さすがにりんごの大産地だけあって興味深い。例えばりんごをロシアに輸出するとすれば「蜜入りりんご」では日持ちの面から問題がある、だから蜜の入らないリンゴを作らねばならないのだがETC。話は弾んで時間の経つのが早い。帰り際には吾が輩の旬の桃をお土産に、再会を約したのであった。
 夕方になって我が家の野菜畑で農業体験を継続中のi崎さんがやってきたので、ナスの更新剪定を一緒に行った。これで彼も「おわら風の盆」頃には美味しいナスが食べれる。

爷爷と 婆婆

彩乃と一緒に・がんこ村で
 きょうは二十四節気の「立秋」だ。暦便覧には「初めて秋の気立つがゆえなれば也」と書かれているが、秋の気立つどころか夏は未だ真っ盛りだ。きょうは早朝に桃の摘み取りをする。「あかつき」だけでは数が揃わないので、「長沢白鳳」にも手をつけた。日中の摘み取りは果肉の温度が上がるので吾が輩、原則行わないのでR。
 2個宛てパッキングして、今日は市内「ふれあい処・がんこ村」でワークショップだ。
 今日は市内に住む孫娘が婆婆(ポォポォ)と一緒に冷やかしにきた。爷爷(イェイェ)である吾が輩格好いいところを見せねばなるまいと張り切ったのである。
003.jpg
写真上は孫娘と爷爷,下は婆婆と孫娘
 イェイェは中国語で父方の祖父、ポォポォは母方の祖母のことである。中国語は人称のアイマイは禁物、父方と母方では呼び方が異なるのでR。
 自治会夏祭り(老いも若きも)
自治会夏祭り(花火)
 夕方からは吾が輩の集落の夏祭りだ。田舎の中の小さな集落だが、まとまりが良い。今宵は老若男女が勢揃いして、談笑し、交流を深めたのである。今年4月に生れた「唯花」ちゃんも、ママに抱かれて初参加をしたのであった。

稲の穂

稲の出穂
 「禾鋤いて日午に当る、汗は滴る禾下の土」前に紹介した漢詩「憐農」の”キトキトの部分だ。その、禾鋤いて田ごしらえをし、稚苗を植えたのが5月10日、以来90日足らずで稲は穂を出したのでR。汗は禾下だけでなくお米になるまで”滴る”のだが、猛暑とは云えお天道様の輝く下で出穂を迎えたことに感謝せずにはおれない吾が輩でR。稲の花
 稲は穂が出るとすぐに花ひらいて実が着くのだが、このときの気象状況次第で豊凶を大きく左右するのでファーマーは神経を尖らすのだが、今年の出穂は好天の下、気がかりな直後1週間も予報では好天が続くので、ホット安堵するのであった。
 きょうは吾が輩の敬愛する農人で、市農業委員会会長(県農業会議副会長)Tさんのご母堂のご葬儀に参列した。県下の農委会長さんたちも多くお参りされていて、久しぶりに懐かしいお顔をみることができた。
 Tさんの、喪主挨拶の中で、「1町歩の田と、5反の畑がある家に嫁ぎ一生懸命農業をされた」とご母堂のことを話されて、昔の人たちのご苦労を偲んだのであった。外は夕立がきそうな雲行きになった一雨欲しい。

炎天の地上花あり

百日紅盛開1
 今日は飛騨山脈を越えた熱風が吹いたので、水銀柱はグングン上がり37・6度を記録したとのこと、まさに炎天でR。吾が輩先日から家の近くの街路樹を気にかけていたのだが、今日は殊のほか印象的だったので写真に収めたのである。市道「体育館線」の「百日紅」、市道ができたのは平成になってからだから樹齢は10年余り、見事に街路樹の役割を果たしてくれている。
 タイトルは、高浜虚子の俳句「炎天の地上花あり、百日紅」からお借りしたもの。今日は本当にこの俳句が相応しいのであった。未だ木が若いので、樹皮のコルク層が剥がれてスベスベになり、”猿が登ろうとしても、滑ってしまう”ことはないので?「サルスベリ”とは呼ばないでおこう。
 なにしろこの猛暑、朝夕田んぼの水を確保するのに一所懸命だ。日中はありがたいことにリンゴ仲間のM山さん、商工会のT原さん、中国語教室老師のx女士と、相次いで訪ねてくださったので、暑さを忘れて話し込んだのであった。それにしてもこの天候、昔の人が言ったように「返しが怖くなる」吾が輩である。

草の根交流

草の根交流
 きょうは上海からの客人だ。吾が輩の老朋友(ラオポンヨウ=親しい友達)j女史と2人のお子達。ご主人Xiさんは富山大学工学部に留学し博士号をとって福井市の企業に就職の後帰国し、現在は上海で製造業の社長。
 今回は輸出先の福井市内企業を訪ねるとともに、神戸大学に留学している息子さんも一緒に富山を訪ねてくらたのでR。吾が輩は2006年にワイフ殿と一緒に上海のXIさん宅を訪ねているので4年ぶりの草の根交流だ。
 交流のあらましは写真に委ねよう。富山大学正門前
諏訪町で塩焼き鮎を丸かじり
桜ちゃん・桃摘み

禅寺橋で
 素敵な写真がいっぱいできたのだが、何と云っても可愛い娘さんのシグサは微笑ましく、吾が輩ホストのし甲斐があったと云うものだ。締めくくりは一番茶目っ気がある写真を載せて再見としよう。氷糖銀耳が日本で食べれる・ヘンガオシン

ファーマーの心意気

シルバーシート(採用)
 桃が収穫の盛りを迎える。今年は梅雨明けが早く、そのうえ好天(チョット暑過ぎるが)続きなので、糖度の高い美味しい桃になった。でも、ファーマーは貪欲だ。より美味しく、色上がりも”わぁ桃だ”となるように、樹冠下に反射マルチ(アルミシート)を敷くのである。こうすることで、下枝に着果した桃も綺麗に色がつくのでR。
 午前はその作業をしているところへ桃を欲しいと訪ねてくださる、ありがたいお客さんだ。摘み取り方をお教えして、お客さんに収穫体験をしていただいた。喜んでいただいたのは云うまでもない。
認定証を受け取る吾が輩
a href="http://blog-imgs-43.fc2.com/c/h/i/chiyokomasaji/20100803161148180.jpg" target="_blank">エコファーマー認定証交付式・関係者
 午後はエコファーマー認定証の交付を受ける。吾が輩より安全で美味しいりんごをつくるべく、6月に申請をしたのだが、本日その認定証がもらえることになったのである。端的にいえば有機減農薬栽培の計画が認定されたと云うことだ。この上はその名に恥じないよう、より安全で、より美味しいりんご作りに精進しようと誓ったのである。中国に「不到黄河心不死」と云う格言がある。”とことんまでやらねばあきらめがつかぬ”との意味だが、吾が輩も”とことん”までファーマーの心意気を味わいたいのだ。

庭に植えるな

ナツメの繁殖
 今朝りんご園の一画に植えてあるナツメの下草を刈っているとナツメの苗が育っている(写真)。植えたのではなく、2㍍ほど離れた所に植えてある云わば親木から伸びた根から”芽吹いて”きたものだ。昔の人は、ナツメは庭に植えるな、と云ったと聞いているが、その訳は張り巡らした根のあちらこちらから芽が出て庭が”ヤワシク”なるからであった。考えようによれば”なんと強い”生命力であろう、と、なるのである。因みにナツメには強壮作用、鎮静作用があるとされるのでR。
 今年は北陸としては梅雨明けが早かった上に、好天が続いて稲が健全に育っているので、稲も”おなか”を空かせている、と吾が輩は読んだ。そこで、今日の午前は田んぼに入って、出穂直前の稲にもうチョットだけ、有機の肥料をほどこしたのでR。熱中症への備えは充分、そして時間は短めにしたのでご心配は無用だ。
 昼寝の後は資料つくり、そして夕方「日中友好協会」の役員会に臨んだ。10月に訪中の予定なので打ち合わせだ。あさっては上海からの客人がみえる。そんな話もして、仲間を羨ましがらせた吾が輩である。
プロフィール

masaji

Author:masaji
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR